2015年08月10日

「ホークスかるた」

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(このネタは2011年11月22日に書いたものです)

プロ野球チームの歴史を「かるた」で勉強しよう!
以前書いた「ファイターズかるた」に続く第2弾。
http://soukon1.blog.ocn.ne.jp/makeinu/683/

今回は「ホークスかるた」です!

ファイターズ編はセネタース・東映・日拓には触れず、
あくまで日本ハム球団だけにしぼって書いたんですが、
今回は「ホークス」というくくりなので、かなり広範囲!
(1940年代から21世紀に至るまでの期間ですから…)

1940年代~60年代くらいまでは黄金時代。70年代辺りから陰りが見え始め…、
80年代~90年代までは暗黒時代を過ごしたホークス。
「20年連続Bクラス」というプロ野球記録も持つ。
そんなホークスの歴史を凝縮し、かるたにしてみた。

ただし2000年代以降の近年のホークスは範囲外。
今や「リア充球団」となった大人気チームのホークス。
ボンクラ男子の自分が語るまでもないでしょう。

男性ホルモンが溢れて加齢臭が漂ってくるような「ホークスかるた」になっております。

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<あ>「あぶさんは、ホークス一筋37年!」

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水島新司の『あぶさん』!主人公の景浦はホークス一筋である。
何がスゴイって、実際に背番号90が欠番になってる事!
フィクションと現実が交差してますねえ。それが水島漫画の魅力。
『ドカベン プロ野球編』においては犬飼小次郎と岩鬼もホークスの選手だ。

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<い>「行ってまいります!」

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1988年、南海がホークスを身売り。
球団を買ったダイエーは大阪から福岡への移転を発表。

50年に渡った南海球団、最後の試合。大阪球場で杉浦監督がスピーチ。
センチメンタルに浸るファンへ向けて「行ってまいります!」という言葉を贈った。
南海愛と、大阪ファンへの優しさに満ち満ちた杉浦さんの想い…。泣けた…!

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<う>「美しき一本足打法、片平晋作」

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王貞治を真似ることで開花した片平。その一本足打法は本家にも劣らない華麗さ。
カッコいいわ~。細身ゆえにスラッとした立ち姿が印象的。

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<え>「円城寺 あれがボールか 秋の空 詠み人知らず」

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1961年日本シリーズ、鶴岡ホークスvs川上巨人。
スタンカ投手がエンディ宮本に投じた、ストライクと思われる一球。
それを「ボール」と判定した円城寺主審。
スタンカも捕手のノムさんも、南海ナイン全員が猛抗議!
勝負の流れが変わったこの一球と判定は後々まで語り継がれるワンシーン。

そして誰が詠んだかわからないが、この川柳が産まれたのだ。
日本シリーズの時期の「秋の空」が詠み込まれてるのが風流。

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<お>「オーテンジオ 漢字で書いて、王天上」

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フランク・オーテンジオ。
南海は「王貞治の上を行くように」という願いをこめ「王天上」と表記。
現在に至るまで漢字の登録名の外国人選手はいない。
それゆえに今もインパクトを残す王天上。
ただし肝心の野球の方はイマイチでした…。

他に登録名の変更でいえば、ドットソンという選手を、
「損」を連想させるからという理由でダットサンという登録名に変えたことも。

ホステトラーは「ホステス」を連想させるので、
ファーストネームのデビッドになっちゃいました。

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<か>「カールトン半田、ビールかけを始める!」

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今やすっかり定番となった優勝チームのビールかけ。
この元祖がカールトン半田である。(ハワイ出身の外国人選手)

1959年の日本一の際に祝勝会の席上でアメリカ式のシャンパンファイトを始めた半田。
ただしシャンパンは無いので、ビールを代用。
これがきっかけで、ビールかけというセレモニーが誕生したとのこと。
カールトンの功績は日本球界にとって偉大だね!

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<き>「近畿グレートリング 改め 南海ホークス」

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戦前に誕生した「南海軍」は終戦後に再開した日本プロ野球にて、
「近畿グレートリング」というチーム名に。

だがこの名前…。進駐軍のアメリカ人兵士たちに笑われたらしい。
どうやら「リング」は女性器を表すスラング。
さらに「キンキ」も「キンキィ」という変態の意を表す言葉に似ていて、
そうした部分に対しての考慮から、
1947年に親会社が南海に戻った際にチーム名も「ホークス」と改められたのである。

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<く>「グラウンドには銭が落ちている」

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日本プロ野球史上「名監督ベスト3」を挙げるとすれば、
それは三原、水原、鶴岡の3人だろう。
愛称は「親分」。ホークスは「鶴岡一家」そのものだった。

選手兼任監督から始まり、23年に渡ってホークス監督を務めた。
選手としても一流で、まさに初代ミスターホークス。
監督退任後も「ドン(フィクサー)」として君臨!(80年代巨人の川上さんも同様だね)

そんな鶴岡親分の名言が「グラウンドには銭が落ちている」。
野球選手は活躍すればするほど金を稼げるという意味だ。

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<け>「ケビン・ミッチェル、衝撃デビュー!」

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ソフトバンクも金持ち球団だけど、全盛期のダイエーもスゴかった!
1995年、バリバリの大物メジャーリーガー、ケビン・ミッチェルが入団!

鳴り物入りでやって来たミッチェルはデビュー戦でいきなり満塁ホームラン!

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このインパクトは凄まじかった。
「すげえのがやって来たぞ!」と、当時はメチャクチャ話題になった。
ホーナーとかバースのようなレベル…。

と、思ったのも束の間。打撃は一気に急降下…。
無断帰国などのトラブルを起こしまくって、球団と揉めまくり!
結局、シーズン途中に解雇…。
スポーツ新聞にデカデカと載った「ミッチ解雇」の文字を今も覚えております。

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<こ>「根性と努力の男、カズ山本」

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ある意味ミスターホークス!
南海末期~ダイエー初期の頃のこの人の存在感たるや…!
不人気で男くさかったパ・リーグ。
リーグを代表する泥くさい選手だった(笑)

強烈なビジュアルで、ついたニックネームは「ドラキュラ」!
でもサスガにそのニックネームはキツイ…、
って事で登録名を「カズ山本」に変更!
背ネームの「KAZU.Y」がカッコ良過ぎました!

ダイエーを戦力外になり、古巣の近鉄に拾われた。
翌年、オールスター戦に選ばれた山本。
場所は福岡ドーム!そこで奇跡のホームラン!
MVPも獲得して涙を流した姿が今も胸に残る。

山本の現役最終打席も、愛着のある福岡ドームだった。
ホークスファンからも盛大な応援歌が歌われ、
球場全体が山本を応援する中、ルーキー篠原から放った打球はスタンドへ…。
奇跡のホームランが突き刺さったのだ。この「引退ホームラン」もホントに感動した。
山本ほど男ファンに好かれた選手はいないだろう。

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<さ>「サブマリン!華麗なフォームの金城基泰」

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アンダースローの投手って、最近はめっきり少なくなったね…。
ロッテ渡辺俊介と西武牧田くらい。でも昭和の頃は結構いっぱいいた。
ホークス史においてもアンダースロー投手は数多い。
その中でも金城のフォームは特に華麗!

カープでエース級の投手だった金城。(75年優勝時の胴上げ投手)
交通事故による目の故障から復活し、野村南海で再び輝きを取り戻したのだ。

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<し>「シンキング・ベースボール」

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南海にやって来た外国人選手、ドン・ブラッシンゲーム。
愛称&登録名は「ブレイザー」。
そのブレイザーが提唱していたのがシンキング・ベースボールだ。
(様々な状況を考えながら野球をする)

チームメイトのノムさんはブレイザーと語りながら、
野球の奥深さをより一層知るようになる。そして野村兼任監督が誕生した際、
「有能で、意思の通じ合える腹心」としてブレイザーをヘッドコーチに据えたのだ。

ブレイザーは阪神監督を経た後、1981年にホークス監督として古巣に舞い戻って来る。
だが荒々しい野球が身についた南海にはシンキング・ベースボールは浸透せず…。
Bクラスから抜け出る事は出来なかった。

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<す>「スイッチピッチャー、近田豊年!」

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衝撃的でした!プロ野球初の「両投げ」投手!
子供の頃にスポーツニュースで見てその漫画的な存在にドキドキワクワク。
特注の六本指グローブもスゴかった。マウンドで即座に付け替えが可能!

ボンクラ男子のハートをキャッチした近田。
自分もプロ野球ニュースや新聞でいつも「近田」という名を追ったものである。
でもなかなか見当たらなかった…。そう。あくまでも「両投げ」というのは話題作り。
実力が伴っていなかったのである。いつの間にか左投げ一本になっちゃってたし。
でも…、夢を見させてくれたよ!

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<せ>「世紀の野球 華咲かす~♪」

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南海の球団歌を歌っていたのは、
名曲『野球小僧』でおなじみの昭和の大歌手・灰田勝彦。

歌詞の一節、「♪世紀の野球 華咲かす」の部分は、
現在も横断幕に使用されてるフレーズ。時は流れたが、想いは変わらない…。
時間と時間を繋ぐ野球愛…。これぞロマン!

http://www.youtube.com/watch?v=jwFtLsqd_ys

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<そ>「揃い踏みだぜ、山内トリオ!」

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たまたま「山内」という名字の投手が3人も在籍したホークス!
南海は不人気チームゆえに、いつも「話題作り」をしたがっていた。
この3人も「山内トリオ」と命名!

3人とも好投手で、ローテの柱としてホークスを支えた。
山内新一は野村時代の優勝に貢献。
山内和弘と山内孝徳は、80年代末期からダイエー初期に、
エース級の存在として活躍をしていた。
二人とも「口ヒゲ」が特徴!喫茶店のマスターのような…。

孝徳さんは当時から「真顔でボケまくる」という面白トークの持ち主であったが、
現在も解説者としてその芸風を発揮しまくってます。

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<た>「だって俺、南海ファンやもん」

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敗北の味を知らない野球ファンなど、真の野球ファンではない!
敗北を乗り越えられない野球ファンなど、真の野球ファンではない!
そしてそれこそが野球ファンの悦びではないのか!?

…そんな野球愛に満ちた、男の歌。
それが『南海ファンやもん』である。

1986年リリース。大阪のブルースバンド「アンタッチャブル」による楽曲で、
(もちろんM-1チャンピオンとは別物)
プロデュースしたのは、あのやしきたかじん。

86年というと南海ホークスは暗黒時代のド真ん中。
そんな頃の楽曲ゆえに、哀愁がハンパじゃない!
昭和30年代に黄金時代を誇った南海ホークスを懐かしみ、
酒に溺れながら、自虐的につぶやく南海ファン…。

「酒と愚痴と南海ホークス」という歌詞に、
昭和パ・リーグのすべてが集約されてるような気がする。
嗚呼、燃える。カッコ良過ぎる…!

http://www.youtube.com/watch?v=n5LajoIbvFI

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<ち>「珍プレー大賞!立石の隠し球」

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フジテレビの珍プレー好プレー。
その大賞に輝いた名シーン!それは立石の隠し球。

カメラは一部始終、それを捉えていた。
しれ~っとして演技をする立石。ランナーが塁を離れた瞬間にタッチ!
ここまで見事だと、もはや好プレーのレベル。

最近はすっかり無くなったプレーの一つだね。
http://www.youtube.com/watch?v=zFzoVziDn_A

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<つ>「月見草。野村克也はミスターホークス」

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南海といえば野村。野村といえば南海。
ノムさんこそがホークスの象徴!キャッチャーで四番打者で監督。
戦後初の三冠王。歴代本塁打数2位。歴代最多試合出場…。
様々な栄光に彩られた野球人。

現在もノムさんの影響力は大きく、そのユーモア溢れるセンスも魅力。
「長嶋や王がひまわりならば…、オレは月見草」と自らを自虐的に例え、
パ・リーグの置かれてる立場を憂いつつ「月見草もまた美しい」という自負を見せた。

ちなみにヤクルト監督時代には「俺の花だよ 月見草」っていう曲を出してます!

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<て>「殿堂入りクローザー、リッチ・ゴセージ!」

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バブル期のダイエーの金持ちっぷりというか、
ブランドへのこだわりは凄まじかった。
南海が地味で貧乏だったから、反動のように派手さを追求してた。
三宅一生デザインユニ。阿久悠&宇崎竜童の球団歌。スターの田淵を監督に招聘…。

そして大物メジャーリーガー、リッチ・ゴセージの入団!
クローザーとして300セーブを挙げた大選手。90年の1シーズンだけの日本生活だったけど、
完全に「晩年」「余生」といったテイスト…。ひっそりと去って行きました。
でもカッコよかった。ヒゲが特徴的で。投げ方も豪快だったし!好きだったなあ~。

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<と>「ドカベン香川にダイエット命令!」

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80年代ホークス最大のスター!それはドカベンこと香川伸行。
浪商で牛島との黄金バッテリー。ぽっちゃり体型で打ちまくるその姿は、
漫画「ドカベン」の山田太郎のよう。スターの貫禄溢れる人気者だった。
南海の選手は知らなくても香川は知ってるという人も多かったろう。

プロ入り後も初打席で本塁打を打ち、
数年で正捕手の座を獲得したりしたが、その後、激太り!!
野球選手とは思えぬ体型で「珍プレー」の番組の常連に!

シーズンオフになるといつもいつも球団からダイエット命令が下ってた。
スポーツニュースで「エアロビをする香川」「水泳をする香川」
なんてシーンを毎年見てた記憶がある(笑)

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<な>「難波駅に降り立てば、大阪球場がそこにある」

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南海ホークスの本拠地だった大阪球場は難波駅の真ん前にあった。
1950年に南海電鉄による沿線開発で誕生し、
以来ホークスのホームとして長い時代を生きた。
基本的にお客さんはガラッガラ…。照明も暗く、何とも言えぬ寂しさがあった…。

だがそんな哀愁の中に夢は咲く。ホークスに夢を見て、
ホークスと共に生きた男たちがそこにいたのだ。

現在は「なんばパークス」という複合商業施設になった大阪球場。
かつての面影は無く、若者たちが行き交う賑やかな場所。

その足下に目をやれば…。
ホームベースのレリーフが埋め込まれている。

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ここに大阪球場があった。それを静かに示す記念碑である。
(マウンド付近にもレリーフがある)

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まさに「つはものどもが夢のあと…」という切ない気持ちになる場所。
ノムさんがここに座っていたのか…、などと考えると、不思議な気分になるね!

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<に>「西川佳明、オープン戦でノーヒットノーラン!」

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万年Bクラスの南海にとって明るい話題はいつも春先だけ…。
1987年か1988年。PL出身の若手エース西川がオープン戦でノーヒットノーラン!

それにしても西川の「もっさり」したテイストは、
いかにも「南海!」「在阪パ!」って感じで燃えるぜ。
彼の背番号21は現在、同じくサウスポーの和田毅に受け継がれている。

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<ぬ>「濡れる瞳…。涙の御堂筋パレード」

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南海ホークス史上、最も幸せな瞬間…。それは1959年の日本一だろう。

1950年代に黄金時代を誇ったホークス。
リーグ優勝し、4度に渡り水原巨人と対戦!だが…すべて敗戦!
「ナンカイやっても勝てないナンカイ」などと揶揄された事も。

1959年、南海史上最高のエース・杉浦忠の4連投4連勝で、念願の日本一を決める。
杉浦は勝利の後、「一人で泣きたい」という名言を残す。
そして「涙の御堂筋パレード」。今も伝説に残る名シーンである。

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<ね>「根本陸夫、福岡に上陸!」

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90年代前半…。長らく続くホークスの暗黒時代。
そこに風穴を開けようとしたフロントは、
かつて弱小だった広島と西武に黄金時代をもたらした男を招聘する。

それが根本陸夫!最初は監督としての入団だったが、
根本の「本職」はゼネラルマネージャーだ。

根本が福岡に来て以来、かつての西武のスター達が集って来た。
秋山、工藤、石毛…。弱小球団に厳しさと勝つ喜びを叩きこんだ。
得意のドラフト戦略も発揮し、城島、小久保、井口などを次々に獲得…。
やがて訪れたホークスの黄金時代!根本の功績は大きい。

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<の>「野村兼任監督、死んだふり作戦でプレーオフ制す!」

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1973年~82年。パ・リーグにはプレーオフ制度があった。
シーズンを前期と後期に分け、それぞれの優勝チームが、
プレーオフで「リーグ優勝」を争うシステム。

導入初年度のプレーオフは南海vs阪急。
激戦が続く名勝負となり、最終的に野村監督率いる南海が優勝!
ノムさんはこの時、プレーイングマネージャー。

「死んだふり作戦」と言うのは前期優勝を果たした南海が、
後期はライバル阪急に負けまくって、手の内を明かさない作戦を取った事を指す。

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<は>「パ・リーグ初代セーブ王、佐藤道郎」

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70年代になり、中継ぎ投手、抑え投手の役割がより重要視されてきた日本球界。
中日の近藤貞雄コーチや南海の野村監督が「投手分業制」の提唱者たちだった。
そして1973年、初めて抑え投手のタイトルが制定される。
パ・リーグ初代セーブ王に輝いたのは南海の佐藤道郎。

ダンディズム!東映映画の悪役にいそうな顔面。

現在は、元アイドル仲根かすみの母親と再婚。仲根さんといえばホークス和田の嫁!
そう。佐藤ミチと和田ツヨポンは義理の親子なのだ。…ホークス魂は繋がってるね!
佐藤の背番号14は、馬原の背中に受け継がれている。
そこに新旧クローザーの魂が交差している!

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<ひ>「百万ドルの内野陣」

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戦後の南海の鉄壁内野陣を例えた、実にポエティックなネーミング。
昔の表現って、ロマンに溢れてて素敵。

メンバーは鶴岡親分、飯田徳治、蔭山和夫、岡本伊三美、
そして「バカ肩」と呼ばれた木塚忠助。
※強肩を「バカ」と例える豪快さ!(笑)
こっちは全然ポエティックじゃない…!!

ちなみに黄金時代の南海打線は「400フィート打線」と呼ばれておりました。
時が流れ…。2003年のホークスは「100打点カルテット」が活躍しましたね。

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<ふ>「不惑の大砲。門田博光、狂い咲き!」

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1960年代~70年代のミスターホークスが野村ならば…、
80年代のミスターホークスは間違いなく門田でしょう!

70年代後半からレギュラー。
打席に立てば「全球ホームラン狙い!」という超豪快なバッターだった門田。

4左打者の門田がお手本にしたのは、鏡に映ったノムさんのフォーム。
室内練習場でバットを振る右打者の野村。
鏡の中には「左打者の野村」が映る。その姿を参考にしたのだという。

とにかく豪快に足を上げ、フルスイングにこだわった門田。
その男くささは、ボンクラを熱くさせた。
「遠くへ。もっと遠くへ。ライバル投手の、一番イイボールを打つ!」という、
ロマンに満ち満ちた選手だった。

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アキレス腱断裂など様々なケガを乗り越え、40代になってからもホームランを打ちまくり
1988年に二冠王に輝いてMVPを獲得。「中年の星」「不惑の大砲」と呼ばれた。

門田といえば「デカイ背番号」も魅力的。
最初は27だったんだけど、次に44になり、60→78(オリックス)→53(ダイエー)と変遷。
特に「44」がレジー・ジャクソン的でカッコイイと思う。

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ダイエー時代はすっかりロマンスグレーになって、お腹も出まくってたなあ。
それでも現役にこだわった姿に拍手!

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<へ>「平和台球場よ、永久に…!」

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ダイエーが92年まで使用した平和台球場。
福岡の地からライオンズが去り、南海が89年にやって来た。
どちらも本拠地は平和台だった。

福岡の野球ファンにとって聖地である故郷のような場所。
数々の名シーンに彩られた平和台。

その跡地に自分も行ってみました…。

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今では草ボーボー!これもまた、
「夏草や つはものどもが 夢のあと」そのものの風景…。

ダイエーにとって平和台時代は暗黒時代の真っ盛り!何とも切ない思い出と共にあるね。
ちなみにココの下から遺跡が発掘され、現在も作業が続いてます。

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<ほ>「吠えまくる!キレまくる!トニー・バナザード!」

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「ホークス歴代助っ人」の中でも未だに知名度、人気度はトップクラス!
アフロ&ヒゲのソウルフルなビジュアル!
よくキレてた(笑)しょっちゅう審判に文句。乱闘もしばしば。
それでいてセカンドのスイッチヒッターという器用な選手だった。

個人的にはこの時代の選手たちは思い出深い助っ人ばかり。
ジョージ・ライト、アップショーなど、黒人選手が多かったなあ。

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<ま>「松永浩美、FA移籍第1号!」

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ソフトバンクホークスは最強だ。バンバンFA選手を獲りまくり!
そんなホークスのFA移籍選手。第1号選手が松永だった。すべてはここから始まった!
日本プロ野球界にとっても、FA権導入後の移籍選手第1号である。

阪急のスターだった松永。史上屈指のスイッチヒッターは阪神にトレード移籍。
(そこで背番号「02」を背負う。メチャクチャカッコ良かった…!)
1年だけ阪神で過ごし、即FA移籍。阪神ファンからは恨まれたものの、
ダイエー初年度でボチボチな成績を残し、やがて引退。

松永といえば、モロにパ・リーガー。
パンチパーマに金ジャラネックレス。そのヤクザチックな風貌が強烈でした!

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<み>「三宅一生デザイン!鮮烈、初代ユニフォーム」

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ホントに鮮烈だったね!今でも胸が熱くなるユニフォーム!
当時は「ダサイ」と揶揄されたユニ。でもこのダサさが実に良いのだ。
お披露目の際のモデルは佐々木誠とイケメン加藤伸一。

あの世界的デザイナー、イッセー・ミヤケによるデザイン。
「ガッチャマンヘルメット」が最高!

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<む>「ムードメーカー!いぶし銀、藤原満」

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寿司職人のような風貌!まさに「いぶし銀」!
南海の巧手、藤原満。こういった職人タイプはパ・リーグファンに好かれる。
ニックネームは「チャイ」。(タイのボクサー・チャチャイに似てたから)

ドカベン香川と共にCM出たり、シブイ野球用品のCMに出たりと、
ホークスのスター選手の一人だった。現在も福岡で解説者として大活躍中です!

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<め>「メモリアル男、広永益隆」

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初期ダイエー時代の、左のスラッガー広永。
代打の切り札として活躍した。
この広永。レギュラー選手ではなかったのだが、
記念碑的ホームランがあまりに多く「メモリアル男」という異名が付いた。

プロ初打席初本塁打に始まり、ダイエー球団第1号、
日本プロ野球通算6万号、パ・リーグ通算3万号を放つ。
その後ヤクルトに移籍し、両リーグで代打サヨナラ満塁本塁打も打った。
強烈な「運」を持ってる人だと思う!

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<も>「森脇、藤本、小川、湯上谷。四人揃ってヒロシ・カルテット!」

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南海末期~ダイエー初期の、シブさ爆発の内野陣!
セカンド湯上谷、ショート小川、
サードorどこでも守った森脇、サードorファーストに藤本。

彼らは4人とも名前が「ヒロシ」ってことで、
「ヒロシ・カルテット」と一部で呼ばれてた。

草刈正雄風のイケメン森脇浩司(背番号4)は、
近鉄出身とは思えぬ顔。未だにダンディ!
ホークスで長らくコーチをして、王さんが入院した時は代理監督も担当。

地味さが売りの湯上谷宏(背番号7→6)。

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同じく地味さが売りの小川史(背番号1)。
二人の二遊間はなかなかの鉄壁さ。

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そして藤本博史!パ・リーガー特有の「口ヒゲ」!
初期ダイエーにて、岸川と共に豪快右打者として君臨。

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<や>「野球界に革命を起こそうやないか」

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球史に残るノムさんの名言!
阪神のエースとして活躍した江夏は、故障や病気もあり、成績が低迷。
阪神から捨てられるようにして、南海へトレードに出された。

その江夏にヤル気を起こさせたのは野村監督の「革命」という言葉だった!
長いイニングを投げられなくなっていた江夏に、
「これからの野球はリリーフ投手が重要」と説いた。
それまで抑え投手というのは存在感の薄いポジションだったのだ。
(南海には佐藤道郎がいたが、ノムさんは先発転向を考えていた)

江夏は抑え投手に転向し、大活躍。見事にそのポジションのスターとなり、
同時にリリーフ投手という存在に光を与えた。

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<ゆ>「雪国から来たサブマリン、皆川睦雄」

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2010年に殿堂入りした故・皆川睦雄。
表彰に出席したのは夫人と、皆川のボールを受け続けた野村克也。
ノムさんはその席で、皆川の思い出を語り出して涙した。
通算221勝の大投手。杉浦と共にホークスを支えた。
二人ともアンダー気味のサイドスロー。そして二人とも、若くして亡くなった…。
そんな二人の「女房」がノムさんなのだ。
っつーかノムさんってば、ホントに「生ける伝説」だな…。

皆川さんは山形県米沢市出身。カットボールの元祖である。
ノムさん曰く「世界初のカットボール」。

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<よ>「吉永幸一郎は、田淵ロマンの体現者」

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四番キャッチャー吉永!豪快なスイングが魅力。初期ダイエーは荒々しかった…。
田淵監督が四番に抜擢した吉永。キャッチャーでありホームラン打者というのは、
田淵監督自らとダブるものがあったのだろう。まさに「田淵ロマン」!

ぽっちゃり体型+メガネというスター性の無い風貌が素敵。
背番号「27」は似合ってたけど、「3」は違和感あり過ぎた…。

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<ら>「乱闘だ!トニー・ミッチェル、ヘルメット脱ぎ捨て大暴走」

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あのトラブルメーカー、ケビン・ミッチェルのいとこ!
トニーも負けず劣らずのトラブルメーカーっぷり。

日本ハム高橋憲にデッドボールを食らい、
ヘルメットを脱ぎ捨て殴りかかる!そのアタマにはスイムキャップ!
このインパクトはすさまじかったなあ~。
止めに入った金子誠が思いっきり殴られてた…。

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<り>「リーグの顔!メジャー級だぜ、佐々木誠」

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南海末期に登場した、華のあるスター選手佐々木。
背番号「0」で一気にブレイク!

スタイリッシュな体型とクールなフェイス。
走攻守がどれも一流で、「メジャーに近い男」と呼ばれた。
背番号も3になり、パ・リーグを代表する選手として大活躍。
新世代のミスターホークスと言えよう。

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そんな佐々木が突如、西武へトレード!
3対3の大型トレードだったが、その相手は秋山だった。
衝撃的なトレードを仕掛けたのは根本さん。
現在、秋山監督の存在があるのもこのトレードがあったおかげ。運命…。

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<る>「ルーキー監督田淵、“アクションベースボール”宣言!」

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話題と未知の可能性に賭け、スター監督を招聘したダイエー!
コーチ経験無しのルーキー監督、田淵幸一が福岡の地に舞い降りた。

生え抜きではなく外部からの招聘は「新ホークス」を印象付けるものであり、
南海カラーからの脱却の意味もあった。田淵新監督の野球。
そのキャッチフレーズは「アクション・ベースボール」だ!

田淵は親会社にちなみ「閉店間際までお客さんを帰さない野球」
を宣言したものの…。すさまじき負けっぷりを披露!
暗黒時代の象徴監督になってしまった…。

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<れ>「歴史を作った韋駄天、広瀬叔功!」

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南海のレジェンド選手の一人、広瀬叔功。(野村監督の後任監督でもあった)
広瀬と言えば俊足。広瀬と言えば盗塁。
「盗塁王」のタイトル創設のきっかけにもなった選手で、
歴史を作った韋駄天選手である。

後にデビューする福本豊に次ぐ歴代盗塁数第2位。名球会入りもしております。

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<ろ>「ロッキングモーション!別所昭」

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白髪!白マユ毛の別所さん!(後に「別所毅彦」に改名)
『プロ野球ニュース』の解説者として存在感を発揮しまくってた別所さん。
ガッハッハ!という笑い声も懐かしい。

ロッキングモーションというのは戦前~戦後時代のピッチャーの定番フォーム。
投げる前に利き腕を回して反動をつけて、投球動作へと入っていく。
別所さんは右足を高く上げ、豪快に投げおろす独特のフォームだった。

タフネスぶりについたニックネームが「べーやんのバカ肩」!
先述の木塚もそうだが、人の肩をバカ呼ばわりするのはスゴイ(笑)

南海のエースだった別所さん。しかし巨人が引き抜き!
ホント、昔から巨人の体質は変わらんわ…。
こうして南海と巨人の対決に「因縁」が産まれたのだ。

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<わ>「若田部、お茶をグイッと一気飲み!」

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1991年ドラフト1位!そのドラフト会議の当日、
一番の目玉選手だった若田部に注目が集まっていた。

指名したのは4球団。ダイエー、巨人、広島、西武。
抽選の結果…、当たりクジを引いたのは田淵監督!

その瞬間にカメラは若田部を映す。
彼は一気にお茶を飲み干し、さわやかな笑顔を見せた。
森田健作ばりのさわやかさを!

その前年には小池がロッテを拒否、
さらに前の年には元木がダイエーを拒否していた。
あからさまに弱いチームやパ・リーグを嫌がる選手たちが続いたので、
「若田部はダイエーに入ってくれるだろうか?」
という思いが交錯したが、すんなりと入団してくれた。

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それゆえに「若田部=さわやかな好青年」のイメージが今も残る。
逆に入団拒否する選手は「わがままで器が小さい」と思う。

そんな若田部…。最近娘さんがAKBの妹分「HKT48」に入ったらしいですよ!

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<を>「大沢、奇跡のバックホーム!」

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1959年。大沢親分の現役時代。日本シリーズの巨人戦。
サヨナラのピンチに、センター大沢のレーザービーム!
サヨナラ負けを防ぎ、そのまま南海が勝利!日本一を勝ちとった。

大沢は相手打者の打球の傾向を考え、あらかじめ守備位置を変えていた。
そこにヒット性の打球が飛んできて、ストライク返球をノムさんに放ったのだ。

こうした「データ」を考える野球はその当時はまだまだ浸透していなかった。
だが南海には尾張さんというスコアラーがいて、彼がデータ野球の始祖とも言われている。

大沢親分は「尾張メモのおかげ」と宣伝し、
一気に尾張さんの名とスコアラーの重要さが球界に広まったのだった。

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<ん>「歌もうまいぞ、色男エモやん!」

<ん>は語尾に「ん」がつく言葉を作製。

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ノムさんがエースに育てた、エモやんこと江本孟紀。
長髪でファッショナブルで、野球選手の常識を打ち破った一人。

ホークスかるた<ん>3.jpg

レコードも出しました。甘~い声が実にいやらしい(笑)
とにかく色男でモテモテでしたが…、何とまあ卑猥なお顔!(笑)
エロスがにじみ出てるぜ!夜の匂いがプンプンしてくるわ~。
※ちなみにこの『恋する御堂筋』は阪神時代に出したレコード。

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以上!

偏りがあるかもしれませんが、「ホークスかるた」でございました。

まだフォローしてない選手もいっぱいおります。
カルロス・メイ、シグペン、九州のバース・山之内、
内之倉、新井宏昌、畠山、加藤伸一、岸川
ニャンコ藤本、アップショー、トラックスラーなどなど…。
魅力あふれるパ・リーガーたちの雄姿に思いを馳せつつ。

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posted by 一番星、 at 17:21| Comment(0) | TrackBack(0) | 日記 | 更新情報をチェックする
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